瓦のはなし

3.日本の瓦 その1

日本で初めて建物の屋根に瓦が葺かれるようになったのは、今から約1400年前の昔、飛鳥の飛鳥寺(法興寺)造営時に朝鮮の百済から寺院建築の技術と共に瓦造りの技術が伝えられたことによる。「日本書紀」によれば崇峻元(588)年に4人の「瓦博士」が渡来したと記されている。

元興寺 極楽坊本堂
元興寺 極楽坊本堂

本堂の西面の屋根と禅室の東南隅
本堂の西面の屋根と禅室の東南隅

「行基葺き」と呼ばれる日本で最も古い瓦葺き
「行基葺き」と呼ばれる
日本で最も古い瓦葺き

後に飛鳥寺は平城遷都ともに、元興寺として奈良の地に移された。現在の元興寺極楽坊本堂の西面の屋根と禅室の東南隅には赤みがかった創建当時の瓦が葺かれている。

この瓦は「行基葺き」と呼ばれる葺き方で日本で最も古い瓦葺きであり、この特徴は台形の反りのある平瓦に丸瓦を組み合わせたものである。丸瓦は前述のポンペイにみる瓦と同様に円筒状のものを半割りにして上部の半丸が下部の半丸に重なるように末広がりになっている。ポンペイのものと平瓦こそ形は違えども平瓦に丸瓦をかぶせて葺いていく手法には共通点がある。

飛鳥寺造営の後、諸豪族は競って寺院を造営するようになった。出土した瓦をみると、この頃は行基葺きと並んで玉縁式の本瓦葺きも使われていた。平瓦と丸瓦の組み合わせという点では、行基葺きと同じだが、丸瓦が重なる部分においては行基葺きが瓦の厚み分飛び出た形になっているのに対して、玉縁式本瓦葺きでは尻部分に厚みを出さないように工夫した玉縁(丸瓦の接合部分を一段低くとりひと回り小さい半円状で水切り状のもの)が付いていて丸瓦が重ねやすくなっており、重なり部分に瓦の厚みが突出しないようになっている。このように、施工がしやすくまた意匠上もすっきりとするといったことにより好んで玉縁式本瓦葺きがその後、寺院や宮殿、城郭といった建物に使用されていき、行基葺きは徐々にすたれていった。

平城京では新しい瓦(緑釉瓦と三彩釉瓦)の製造も試みられた。唐から彩釉陶や唐三彩を学び、この技法によって焼いた瓦を平城宮の東院玉殿に葺いた。「続日本書紀」では瑠璃の瓦で葺くと記録しており、その東院から三彩瓦や緑釉を施した瓦が出土している。そのほか、大安寺、唐招提寺からは二彩、三彩の鬼瓦や軒瓦、平瓦が出土している。